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立石熊野神社 |
立石熊野神社は、葛飾区立石にある熊野神社です。立石熊野神社は、平安時代中期の長保年間(999〜1003)に、陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられ、立石村の鎮守社だったといいます。
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住所 |
葛飾区立石8-44-31 |
Tel |
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営業時間 |
参拝は常時 |
例大祭 |
9月16日 |
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新編武蔵風土記稿による立石熊野神社の由緒
熊野社
村の鎮守なり。神体は石剣にして長2尺余、村名もこれより起れり。相傳ふ当社は阿部晴明が勧請なり。社地は五行にかたどりて五角なりしと、今も其形残れり。南蔵院持、下二社同じ。
末社。香取、稲荷(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による立石熊野神社の由緒
社伝によると、創祠は平安時代中期の長保年間(999〜1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられています。
江戸時代の地誌「四神地名録」によると、当社の御神体は「神代の石剣」で極めて珍しいものと記されております。
この辺り一帯には、古墳群をはじめ霊石として知られる「立石」等があり、先史時代から集落のあった場所として、葛飾区内で最も古い神社の一つであります。
平安時代の熊野信仰は盛んで、花山法王が那智の滝で一千日の修行中邪魔をする天狗を同行した安部晴明が封じ込めて助けたと言われ、当社を勧請した安部晴明と熊野の深い関係を知ることができます
鎌倉時代、葛飾に縁りある御家人壱岐守葛西三郎清重の崇敬を経て、更に江戸時代には三大将軍義光や八代将軍吉宗が、鷹狩りに当地にお成りの際や、徳川御三卿のひとつ田安家の度々の参拝の折には、必ず当社より「金烏の守護」を献上したと伝えられております。
当時、紀州熊野三社の神にお使のヤタガラスと宝珠を象った霊験あらたかな牛王宝印は魔除け・厄除け・病気平癒等の守護として、全国に広まっておりました。
当社故実の「金烏守護」は、安部晴明が著したとされる陰陽道の秘伝書「金烏玉兎集」によるものと伝えられております。
また御神体を安置する内陣の石造りの神殿は寛政8年(1796)に、本殿は総公孫樹材を用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年に、夫々改築造営され、さらにご鎮座一千年記念事業として、平成20年正月に御神門・神楽殿が建立されました(立石熊野神社案内より)
日本一高い銅製の五重塔は必見です!!
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