哲学者・梅原猛さん逝く


15日付の新聞に市川海老蔵と堀越勸玄君が團十郎と新之助を襲名するという嬉しいニュースの横に、私にとって非常にショッキングなニュースが掲載された。

「梅原猛さん死去 哲学者、独自の古代史論 93歳」

市川猿之助とともに制作したスーパー歌舞伎は今もなお受け継がれている。哲学だけでなく、歴史や芸術にも精通し、幅広い分野と斬新な視点で世に問いかけた巨星が逝った。新聞にも書かれているが、文学・歴史・宗教の分野で従来の学説に挑んだ著作が「梅原古代学」として親しまれていた。

私と梅原猛さんとの出会いはこの対談集だった。

京都和菓子修業時代に古本屋で見つけ、大志を抱いた少年気分だった私に勇気を与えてくれそうなタイトルに一目惚れしたのを覚えている。そして、この対談集はそうそうたる面々が登場する。哲学者の中村元、中村雄二郎、作家の陳舜臣、五木寛之、瀬戸内寂聴、宗教学者の山折哲雄、心理学者の河合隼雄、近代文学研究者の鈴木貞美、歴史学者の西山松之助。タイトルの通り、この本は少年、厳密にいうと高校生に向けて書かれている。しかし、大人が読んでも十分に読み応えのある内容だ。

自分が夢見た世界を、詩にしたり、小説にしたり、劇や音楽や美術にするわけです。まさに芸術は、夢の産物ですよね。そうして表現された夢は、現実よりもはるかに魅力的です。すばらしい芸術というものは、みな、現実よりいっそう生き生きとしている。芸術家というのは、そういうすばらしい夢を見る能力をもっているわけです。そういう人間なんですね。

冒頭の章でこんなことが書かれていた。私はこれを読んで、自分の夢を煎餅に託そうと決めた。私にとって煎餅が芸術作品となるように。

そして、私が一番面白く、度肝を抜かれたのは、近代文学研究者の鈴木貞美氏との対談「『三島由紀夫』体験」の中の梅原の発言だった。

鈴木氏が三島由紀夫と同い年の梅原氏に対して、「三島の天皇制に対する考え方について、梅原さんはどうご覧になっていますか?」と質問した。梅原氏の回答はこうだった。

私はだめな兵隊なんです。三島はだめな兵隊であるよりさらにだめな人間だった。僕は、兵隊になるだけはなったんや。なったけど、行ってだめだった。その時の思想は、やっぱり日本は負けるだろうと思っていた。そしてどうせ負けるんだから、生きて帰ったほうがいいだろうという考え方だったんですよ。この日本のファシズムかぶれの政府は、すぐに負けるに決まっているだろうと。だから僕も死ぬにちがいないという考え方だったですね。だから三島のように、戦争で死んだ人間を美化する気にはとてもならなかった。つまり、三島は受難がゼロでしょう。自分だけ安全なところにいて、ぬくぬく育ったという人間。僕は多少は受難をしたな。弱い兵隊で、戦争がいやでしようがない人間。だから、三島のように戦争を美化するというようなことは、とてもできなかった。僕は戦争は嫌いですね。決定的に嫌い。そして、自分が、立派な兵隊になりえなかったから、その埋め合わせとして特攻隊の人たちに憧れるということなどまったくばかばかしいと思う。だから特攻隊の人たちは気の毒だったと、私はずっといまでも考えているんです。そこらへんがね、どうしても三島の思想は私にとっては理解できないですね。

三島由紀夫は単純にすごい文学者なんだと思っていた私にとってこの考え方は衝撃的だった。私に批判する批評する視点を与えてくれたのは梅原猛氏だったような気がする。

もちろんこのほかにも日本人論、文明論、縄文思想、法然と親鸞、スーパー歌舞伎、脳死、などなど好奇心をくすぐる内容ばかりだった。

この本を含め数冊しか梅原猛氏の著作は読んでいないが、今回を機に梅原猛にどっぷり漬かってみようかと考えている。

勝手にいつか会えるのではないかと思っていた方が亡くなってしまったのは非常に悲しい。彼がこの世に残してくれた「知」に是非皆さんも触れてほしい。

梅原猛氏に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

葛飾区郷土と天文の博物館「家内安全・商売繁盛 厄除けと招福の縁起物」


いつも大変お世話になっている葛飾区郷土と天文の博物館が平成30年度企画展として

「家内安全・商売繁盛

 厄除けと招福の縁起物」

を今年の2月3日(日)まで開催している。

葛飾にまつわる縁起物を中心に全国各地に伝わる縁起物を寄せ集めた内容だ。

この絵額は京成線青砥駅すぐ近くにある青戸八幡神社に奉納されたもので、コレラが大流行した安政5年(1858年)に描かれた。赤い注連縄をもった裸の人々がコレラから身を守ってくれるよう祈願し、踊っている様子が描かれていて、葛飾区指定有形文化財に登録されている。こんなに大きな絵額はなかなか見たことがない。これが今まで遊び場として親しんでいた神社にあったかと思うと感慨深い。

様々なダルマが展示されていたが、特に気になった(というか気に入った)のがこの二つのダルマだ。左が胴に富士屋ホテルと書かれた大きなダルマ。相州だるまだそうで、眉と顎から立派な毛がはえている。これは鶴と亀を表しており、長寿と縁起の意味を持たせている。

一方右の方は、赤くなくてはダルマだと気付かないくらい不思議な形をしている。これは三角ダルマといって、新潟県阿賀野市の伝統工芸品である。ひょうきんな表情がとても愛くるしい。新潟県阿賀野市にある山口町には山口人形というものがあり、これが三角ダルマのルーツなのだそうだ。「への字」にぐっと曲がった口は雪国ならではの辛抱強さと我慢強さを表現しているのだろうか。頭をつついても首を振りながら起き上がるようすは、何度困難にぶちあたっても立ち上がるという勇気を与えてくれる。

こちらのサイトで三角ダルマの制作の様子をうかがうことができる。

東京の人には酉の市などで馴染み深い飾り熊手。私の背丈(177㎝)ぐらいある大きなものもあります。熊手というのがどうして縁起物になったかご存じだろうか?現代人の生活では使われていない熊手というのはそもそも落ち葉をかき集める道具だった。そこで洒落好きな商人が「運」や「金銀」をかき集めることにかけて縁起物になったというのが有力な説である。

そして、招福してくれる縁起物といえば、招き猫は欠かせない。そして、招き猫といえば、私たちがいつもお世話になっていて、たびたび当ブログでも紹介させていただいている今戸焼白井さん。今回も干支である猪の人形と招き猫が展示されていた。

今戸焼というのは型から製造する。江戸時代から伝わっているものもある。そもそも今戸焼人形というものは子供のおもちゃという位置づけで、遊んで壊れてしまうことが多く、今戸焼人形そのものが現存していることが少ない。しかし、その型が残っていることによって、江戸時代と同じものを現代に復元することができるのだ。

今回、今戸焼白井さんからのご紹介とお世話になっている葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員さんのご配慮により、私ども神田淡平が所蔵する「今戸焼鏝地蔵」も展示して頂く運びとなった。これは葛飾今戸焼の最後の陶工である内山さんが制作してくださったもので、本来煎餅を焼く鏝(コテ)の真ん中に遊び心で小さなお地蔵さんを置いてくださったのが制作のきっかけだった。今となっては大変貴重な文化財であり、この縁起物展にふさわしいものを作ってくださったことを心から感謝している次第である。

息子も招き猫や鏝地蔵を見て、笑顔になっていた。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

「こころがまえ」


私には年に何度か本を送り合う親友が幾人かいる。そのうちの1人が昨年末忘年会で会った際に伊集院静氏の『琥珀の夢』という本を頂戴した。

サントリー創業者である鳥井信治郎をモデルにした伝記的小説だ。友人「お前みたいな後継ぎ息子は絶対に読んだ方がいい!」と強く勧められた。

読んでみると面白くて止まらない。鳥井信治郎の「やってみなはれ」の精神はこうして生まれたのかというのがよくわかる。また、修業をしていた自分の身に置き換えて考えることもあり、今更ながらこの本を先に読んでいればという思いに駆られてしまう。

私も今まで数多くの本を読んできたが、あるシーンで人生初めての面白い読書経験をしたのでここに記す。

そのシーンとは、自分の店を開業し、業績を伸ばしていった信治郎が丁稚を探すため、元奉公先の小西儀助の元に相談に訪れた際、儀助の元で奉公している下女がお茶を持ってくる場面だ。その箇所を以下に引用する。

 

儀助は言ってお茶の碗を上げた。

「おう、これは美味い。よういれたある」

儀助が言うと下女は顔を赤らめて下がった。

「鳥井はん、いや信治郎はん。あんたはん賄いのトメを覚えてるか?」

「へぇ~い。覚えてま」

「あの子はトメの孫や・・・・・・」

「たしかトメはんは京都の宇治の出身やったかと」

「よう覚えてんな。ほんの少ししかここにいいへんかったのにあんたはんの頭はどないようできたあんのや。そうや、宇治の近在の生まれ育ちや。トメの家の者は先々代から店(うち)へ奉公に来てもろうとる。店が出す茶が美味いと評判でそれだけでお客はんが寄ってくれはる時もあった。トメの娘も店にいっときおって、嫁へ行き、あの子を産んだんや。あの子にお茶のいれ方を教えたんはトメのはずや。信治郎はん、人に働いてもういうことは、そういうことや。店中(たななか)で教えてもろうて、鍛え上げてもろうても、それだけやったら、ほんまもんの働き手にはなれん。わかるか?」

「はあ・・・・・・」

信治郎が儀助を見た。

「いっとう肝心なんは、“ ここ ”や」

と儀助が胸を叩いた。

「こころや。こころがまえや。お客はんに、毎日汗水流して働いとる奉公人に、美味しいお茶をいれて飲んでもらいたいと、三代の女子が懸命にやったら、そら美味いやろう。これがお茶と違うて、商いやったらどないなる?こない強い働き手はおらんで」

「はあ、ええ勉強させてもらいました」

 

この場面で私も信治郎同様、儀助に商人としての考え方を勉強させてもらった。そして、面白いことに気づいた。

皆さんは最後の儀助のセリフの「こころがまえ」という平仮名をどう漢字に変換しただろうか?

おそらくたいていの方は「心構え」と変換したはずである。

しかし、私の頭は、これを読んだ瞬間、「心が前」と変換してしまった。もちろん間違った変換であるが、私にとってこの変換は必ずしも間違いではないのではないかと思った。

旦那が懸命に奉公する人たちに対して心からお世話すること・育てること。つまり「心が前にあること」、「心が先にあること」の重要性。それは働いている人たちがお客様に対して「心が先にあること」へ繋がる。この「心が前」という考え方を持つことが何よりの「心構え」なのだと。

伊集院氏がこの「こころがまえ」を平仮名で表記していることに凄く意味を与えているように思えてならない。これは小説を読む楽しさだ。私はこの小説で初めてこの楽しさに気付いた。

この小説全体からみたら他愛もない一場面であるが、この私の気付きを読んで、少しでも『琥珀の夢』に興味を持っていただけたら、望外の喜びである。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

明けましておめでとうございます


明けましておめでとうございます。

旧年中は大変多くのお客様からご愛顧を賜り、神田淡平も無事2019年を迎えることが出来ました。平成も今年が最後ということで、皆様同様われわれも気持ちを新たに更なる飛躍を目指して精進していく所存でございます。

どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。

 

さて、せっかく新年を迎えましたので、私事ではございますが、今年の目標をここで掲げたいと思います。

今年は「ブログ閲覧数 月30万PV」を目指したいと思います!

この数字がどれだけのものかはわかっているつもりです。ただの煎餅屋が普通にブログを書いているくらいでは到底達成できるような数ではないことも重々承知しております。ですが、この数字を本気で狙いにいけるくらいのコンテンツを皆様にお届けし、私自身の文章力や構成力、アイディア力をこの場で鍛えさせていただければと思っております。

どうぞこの野望を見届けてやってください。今年も宜しくお願い申し上げます。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目