煎餅の歴史 その4 ”煎餅発祥の地”


前回のブログで日本で初めて煎餅を作った嵯峨小倉の和三郎(改め亀屋和泉藤原政重)について記述した。その和三郎の功績をたたえて、現在でも京都の嵐山にある老舗和菓子店・老松嵐山店の入り口の脇には”煎餅発祥の地”として立札が設置してある。

これがこの立札だ。経年劣化によって痛みが激しく、読みにくい状態になってしまっているのが非常に残念であるが、何とか読み解いてみたので、ここに書かれている内容を以下に記述する。

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煎餅の歴史 その3 ”煎餅開発者 和三郎”


煎餅発祥の地というのがある。京都の嵐山にある老舗和菓子店「老松嵐山店」の入り口の脇に“煎餅発祥の地”という立て看板が立っている。その様子はこちらのブログをご参照頂きたい。今日はその立て看板にも書かれている「和三郎」という人物を紹介する。

この人物が和三郎である。

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菓子の歴史 その3 “菓祖 田道間守はどのような人物か”


菓祖田道間守の功績に関しては前回のブログ(『菓子の歴史その2“いつから菓子はあるのか”』)に記したのでそれをご高覧頂きたい。

この記事では、田道間守自身の出生、彼の伝説が残る遺跡、文献に残る記述を紹介する。なお文献の記述に関しては前回の内容と重複する箇所が多分にあることをご了承いただきたい。

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煎餅の歴史 その2 中国煎餅の歴史


13世紀後半の家庭百科全書である『居家必用事類全集』に「七宝巻煎餅」の作り方が記載されている。

それによると、小麦粉に水を加えて糊状にしたものを板状の調理用具に油を引いて薄く焼いて煎餅を作る。羊肉の炒めたもの、火を通したエビ肉、キノコ、炒めたネギ、松の実、クルミ、生姜の七種の具材に、白砂糖、塩、酢で味付けしたものを餡として煎餅で巻いて、ふたたび油で煎って食べるという。

文字を読んで想像するに、現代の春巻きやクレープのようだ。そして、前回のブログ(「煎餅の起源 その1」)で紹介した現在中国で食べられている煎餅の作り方そのものである。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

煎餅の歴史 その1 ”煎餅の起源は中国にあり”


煎餅はいったい何者なのか!?

この問題を追究するとかなり時間がかかるので、ゆっくりとこのブログで解説をしていく予定である。

まず今回は煎餅の起源をたどる。諸説あるが、煎餅の起源は中国にある。

そもそも漢字の「餅」は中国では主に小麦粉、粟、緑豆などの粉を水で溶いて、平たく成型した食品全般をいう。そして、「煎」も日本人が考える「煎る」というよりは「鉄板で焼く」という感覚なのである。つまり、日本人の考えるクレープやお好み焼きが中国にとっては「煎餅」であるのだ。古代中国で発生した煎餅は当時小麦の栽培が普及していた華北平野で発達した食品だと考えられている。

「煎餅(ジエンピン jiānbǐng)」というのが中国での呼び名であり、形状はこのようなものだ。

「煎餅(ジエンピン jiānbǐng)」の文字が見える。

これらは現在、山東省名物の山東煎餅や天津名物の天津煎餅、正式名称を煎餅餜子といって中国でごく一般的に食べられているものである。「煎餅」という文字が初めて登場したのは、6世紀中ごろに成立した『荊楚歳時記(けいそさいじき)』と同じく6世紀中ごろのことを記した『太平広記』の中である。おそらくこの頃に中国へ赴いた日本の官僚や僧侶がこのような煎餅を知り、日本に持ち帰ってきたのではないかと考えている。

これが煎餅起源説の一つである。

ちなみに少し余談のようになるが、天津では煎餅のことを別名「嘎巴(ガーバ)」と呼ぶらしい。嘎巴菜(ガーバツァイ)という食べ物がある。

作り方は緑豆の煎餅を細切りにして、とろみのある餡をかける至ってシンプルな料理だ。日本でいうと青森の郷土料理である煎餅汁のような感覚のものだろうか?煎餅とはかけ離れた見た目であるが、参考までに載せておく。

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目