菓子の歴史 その2 “いつから菓子はあるのか”


菓子の起源を探ると日本列島に人類が存在していた縄文時代にまでさかのぼることが出来てしまう。(参考資料)しかし、これは「菓子」という文化と考えるにはあまりに文化濃度が薄いため、有史時代以降で最初に「菓子」に関する資料を“起源”と考えようと思う。

するとこの人物を抜きにして、菓子の起源は語れない。垂仁天皇の時代に活躍した菓祖田道間守公である。

有史以降というとギリギリ資料が残っているかいないかの時代であるので、伝説的な要素が強いが、田道間守が祀られている神社が各所にあり、埋葬されている墳墓も存在するので、実在した人物として説明して差し支えないと思われる。田道間守自身の話は別の記事(「菓祖 田道間守とはどのような人物か」)で書くとして、ここでは彼が何故“菓祖”として祀られているかという功績のみを記すにとどめる。

少し見づらくて申し訳ないが、田道間守は11代垂任天皇の後期から景行天皇の時代にかけて活躍した役人である。

垂仁90年(293年)に垂仁天皇は田道間守に、常世国の不老不死の理想郷に行き、非時香具菓(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰るよう命じられた。田道間守は、数年もの長い年月をかけ困難を克服して木の実を発見し、垂仁99年(297年)香果八矛、八縵を持ち帰った。しかし、田道間守が帰国する直前に垂仁天皇は崩御していた。田道間守は太后に半分献上した後、奈良尼ヶ辻の御陵に献じ、陵前で断食、殉死したと言われている。この靈菓は橘の実と言われ、三重県の二見浦の近くにその木を植え継いだという伝説が残っている。

後に聖武天皇が「橘は果子の長上、人の好む所」といわれ、果子は菓子の最初とされ、田道間守を菓祖神とされた。

この後、遣隋使や遣唐使がさかんに派遣されることにより和菓子の原型となる唐菓子の製法や材料が輸入される。煎餅の“ご先祖”もこのうちの一員なのである。

 

参考資料は以下の通り

  • 『菓子入門 改訂2版』 早川幸男 2013年 日本食料新聞社
  • 『菓祖田道間守公』 三好右京 1928年 東京菓子新聞社
  • 『菓子の文化誌』 赤井達郎 2005年 河原書店
  • 『日本の菓子』 井上賴壽 1949年 推古書院
  • 古代史の復元「第11代垂仁天皇」

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

 

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