BS11『昭和の名曲』の撮影がありました


本日BS11で放送されております『あなたが出会った 昭和の名曲』の撮影が神田淡平本店にて行われました。

“平成のおんな流し”であるおかゆさんがご来店し、神田淡平のお煎餅を召し上がって頂きました。

このコーナーはながしであるおかゆさんがお店を訪れ、そのお店の魅力や歴史を聞き歩き、店主ゆかりの「昭和の名曲」のリクエストに応えてその場で歌ってくださるというものです。

さて、私どもは何の曲をリクエストしたでしょうか♪♪??

私ども神田淡平に大変ゆかりのある方の作詞したあの名曲です!

答えはぜひ放送をご覧くださいませ。

放送日が確定いたしましたらまたこちらのブログにてお知らせいたします。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

うなぎ煎餅発売開始!


本日より葛飾を代表する川魚料理の老舗、川甚さんの新館にてうなぎ煎餅が先行販売されます。

このうなぎ煎餅はエキスを入れただけのものではなく、うなぎの骨を生地に練り込み、オリジナルの蒲焼用タレをまとわせた本格派。

コンセプトはまさに「持ち歩けるうな重!」となりました。 

 

川甚さんの新館入り口すぐのところに販売スペースを設けて頂きましたので、ご来店の際にどうぞご覧くださいませ。

一枚160円(税込み)

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

哲学者・梅原猛さん逝く


15日付の新聞に市川海老蔵と堀越勸玄君が團十郎と新之助を襲名するという嬉しいニュースの横に、私にとって非常にショッキングなニュースが掲載された。

「梅原猛さん死去 哲学者、独自の古代史論 93歳」

市川猿之助とともに制作したスーパー歌舞伎は今もなお受け継がれている。哲学だけでなく、歴史や芸術にも精通し、幅広い分野と斬新な視点で世に問いかけた巨星が逝った。新聞にも書かれているが、文学・歴史・宗教の分野で従来の学説に挑んだ著作が「梅原古代学」として親しまれていた。

私と梅原猛さんとの出会いはこの対談集だった。

京都和菓子修業時代に古本屋で見つけ、大志を抱いた少年気分だった私に勇気を与えてくれそうなタイトルに一目惚れしたのを覚えている。そして、この対談集はそうそうたる面々が登場する。哲学者の中村元、中村雄二郎、作家の陳舜臣、五木寛之、瀬戸内寂聴、宗教学者の山折哲雄、心理学者の河合隼雄、近代文学研究者の鈴木貞美、歴史学者の西山松之助。タイトルの通り、この本は少年、厳密にいうと高校生に向けて書かれている。しかし、大人が読んでも十分に読み応えのある内容だ。

自分が夢見た世界を、詩にしたり、小説にしたり、劇や音楽や美術にするわけです。まさに芸術は、夢の産物ですよね。そうして表現された夢は、現実よりもはるかに魅力的です。すばらしい芸術というものは、みな、現実よりいっそう生き生きとしている。芸術家というのは、そういうすばらしい夢を見る能力をもっているわけです。そういう人間なんですね。

冒頭の章でこんなことが書かれていた。私はこれを読んで、自分の夢を煎餅に託そうと決めた。私にとって煎餅が芸術作品となるように。

そして、私が一番面白く、度肝を抜かれたのは、近代文学研究者の鈴木貞美氏との対談「『三島由紀夫』体験」の中の梅原の発言だった。

鈴木氏が三島由紀夫と同い年の梅原氏に対して、「三島の天皇制に対する考え方について、梅原さんはどうご覧になっていますか?」と質問した。梅原氏の回答はこうだった。

私はだめな兵隊なんです。三島はだめな兵隊であるよりさらにだめな人間だった。僕は、兵隊になるだけはなったんや。なったけど、行ってだめだった。その時の思想は、やっぱり日本は負けるだろうと思っていた。そしてどうせ負けるんだから、生きて帰ったほうがいいだろうという考え方だったんですよ。この日本のファシズムかぶれの政府は、すぐに負けるに決まっているだろうと。だから僕も死ぬにちがいないという考え方だったですね。だから三島のように、戦争で死んだ人間を美化する気にはとてもならなかった。つまり、三島は受難がゼロでしょう。自分だけ安全なところにいて、ぬくぬく育ったという人間。僕は多少は受難をしたな。弱い兵隊で、戦争がいやでしようがない人間。だから、三島のように戦争を美化するというようなことは、とてもできなかった。僕は戦争は嫌いですね。決定的に嫌い。そして、自分が、立派な兵隊になりえなかったから、その埋め合わせとして特攻隊の人たちに憧れるということなどまったくばかばかしいと思う。だから特攻隊の人たちは気の毒だったと、私はずっといまでも考えているんです。そこらへんがね、どうしても三島の思想は私にとっては理解できないですね。

三島由紀夫は単純にすごい文学者なんだと思っていた私にとってこの考え方は衝撃的だった。私に批判する批評する視点を与えてくれたのは梅原猛氏だったような気がする。

もちろんこのほかにも日本人論、文明論、縄文思想、法然と親鸞、スーパー歌舞伎、脳死、などなど好奇心をくすぐる内容ばかりだった。

この本を含め数冊しか梅原猛氏の著作は読んでいないが、今回を機に梅原猛にどっぷり漬かってみようかと考えている。

勝手にいつか会えるのではないかと思っていた方が亡くなってしまったのは非常に悲しい。彼がこの世に残してくれた「知」に是非皆さんも触れてほしい。

梅原猛氏に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目

葛飾区郷土と天文の博物館「家内安全・商売繁盛 厄除けと招福の縁起物」


いつも大変お世話になっている葛飾区郷土と天文の博物館が平成30年度企画展として

「家内安全・商売繁盛

 厄除けと招福の縁起物」

を今年の2月3日(日)まで開催している。

葛飾にまつわる縁起物を中心に全国各地に伝わる縁起物を寄せ集めた内容だ。

この絵額は京成線青砥駅すぐ近くにある青戸八幡神社に奉納されたもので、コレラが大流行した安政5年(1858年)に描かれた。赤い注連縄をもった裸の人々がコレラから身を守ってくれるよう祈願し、踊っている様子が描かれていて、葛飾区指定有形文化財に登録されている。こんなに大きな絵額はなかなか見たことがない。これが今まで遊び場として親しんでいた神社にあったかと思うと感慨深い。

様々なダルマが展示されていたが、特に気になった(というか気に入った)のがこの二つのダルマだ。左が胴に富士屋ホテルと書かれた大きなダルマ。相州だるまだそうで、眉と顎から立派な毛がはえている。これは鶴と亀を表しており、長寿と縁起の意味を持たせている。

一方右の方は、赤くなくてはダルマだと気付かないくらい不思議な形をしている。これは三角ダルマといって、新潟県阿賀野市の伝統工芸品である。ひょうきんな表情がとても愛くるしい。新潟県阿賀野市にある山口町には山口人形というものがあり、これが三角ダルマのルーツなのだそうだ。「への字」にぐっと曲がった口は雪国ならではの辛抱強さと我慢強さを表現しているのだろうか。頭をつついても首を振りながら起き上がるようすは、何度困難にぶちあたっても立ち上がるという勇気を与えてくれる。

こちらのサイトで三角ダルマの制作の様子をうかがうことができる。

東京の人には酉の市などで馴染み深い飾り熊手。私の背丈(177㎝)ぐらいある大きなものもあります。熊手というのがどうして縁起物になったかご存じだろうか?現代人の生活では使われていない熊手というのはそもそも落ち葉をかき集める道具だった。そこで洒落好きな商人が「運」や「金銀」をかき集めることにかけて縁起物になったというのが有力な説である。

そして、招福してくれる縁起物といえば、招き猫は欠かせない。そして、招き猫といえば、私たちがいつもお世話になっていて、たびたび当ブログでも紹介させていただいている今戸焼白井さん。今回も干支である猪の人形と招き猫が展示されていた。

今戸焼というのは型から製造する。江戸時代から伝わっているものもある。そもそも今戸焼人形というものは子供のおもちゃという位置づけで、遊んで壊れてしまうことが多く、今戸焼人形そのものが現存していることが少ない。しかし、その型が残っていることによって、江戸時代と同じものを現代に復元することができるのだ。

今回、今戸焼白井さんからのご紹介とお世話になっている葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員さんのご配慮により、私ども神田淡平が所蔵する「今戸焼鏝地蔵」も展示して頂く運びとなった。これは葛飾今戸焼の最後の陶工である内山さんが制作してくださったもので、本来煎餅を焼く鏝(コテ)の真ん中に遊び心で小さなお地蔵さんを置いてくださったのが制作のきっかけだった。今となっては大変貴重な文化財であり、この縁起物展にふさわしいものを作ってくださったことを心から感謝している次第である。

息子も招き猫や鏝地蔵を見て、笑顔になっていた。

 

手焼き煎餅(せんべい)神田淡平 6代目